村井純教授の1月16日最終講義全文書き起こし

村井 純 Research

概要

「日本のインターネットの父」と呼ばれる慶応大環境情報学部教授の村井純さん(64)が定年を迎え、16日、最終講義があった。村井さんは「インターネットに国境はない。国や政府が分断したり規制しようとしたりする試みは続くだろうが、若い人たちで守ってほしい」と呼びかけた。

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村井先生の最終講義。16年ぶりに村井先生の講義を聞いて懐かしくなりました。せっかく良いことをたくさんおっしゃっていたので人力で書き起こしをしました。(Amazonウィッシュリスト

講義全文

共同授業担当 佐藤特任准教授(以下教員): そろそろ始めましょうか。

村井: はい。それでは皆さん、こんにちは。インターネットの、2019年秋学期の最終回ということで集まっていただきましてありがとうございました。学生は、履修者があふれるはずだけど来てない。ハハハ。その代わり、なんか変な普段見慣れない人も来ているということで、どうもありがとうございました。OBやそういう人たちも来てくれているようで、皆さんへのメッセージも一応用意してありますけれども。

 ただ、今日はずっとアナウンスするようにみんな期待して来ている人もいるんだけど、でかいクラスなのでなかなか学生とインタラクションができないから、質問をまとめてもらってそれを最後にまとめて答えるというのが最終回の使命なので。それを1時間くらいやって、そのあとでSFCとインターネットっていうまとめを少し最後に話すことにしますんで、よろしくお願いします。

 まずは皆さんに書いてもらった質問を聞きますんで。なんか変な質問がないことを祈るが。

教員: はい。

村井: 個人的な質問はすんなよ。俺の生活を聞くな、みたいな。

教員: そうですね、個人的な質問は結構有りますね(笑)

 それで、講義に関するお願いはいつもと同じです。ハッシュタグ「#inet19F」で、内容に関しての感想とか、あるいはこれ聞きたいとかいうことがあれば。もし拾うことができればそれも考えていこうと思いますので、ご活用いただければと思います。

 まず前半は村井先生への質問ということで、最終課題ですね。これがまた550ぐらい(質問が)来てしまって、全部読むのもめちゃくちゃ大変だったんですけども、非常にたくさんのいろんな意見がきましたので、TA/SAにも手伝ってもらって、似たようなものというのはなるべくまとめる形で整理しました。なので、個人というよりは皆さんの総意のものも結構多いかなと思います。それで、時間の許す限り…。

 村井さん、Twitterの中ではMJと呼ばれてますね。「MJ、ファンサは楽しいですか?」みたいな質問もあって…。

村井: え?

教員: (ファンサとは)ファンサービスですね。村井先生が学生の所に行ってマイクを傾けるやつを、今の学生はファンサービスって言うんですよ。新しいですね。

村井: まず、JMじゃなくてMJなのね、もちろんね。それもあるし、昨日のTwitterはびっくりしたよな。なんかキャンパスで、「野生の村井純を見た」って。ちょっと待って、ポケモンか俺は、みたいな(笑)

教員: 恐らくハイパーボールじゃないと捕まえられないと思いますけど、はい(笑)

 いろんな質問が学生から寄せられていますのでいろいろあるんですが、まずはこの授業はインターネットということなので、インターネットについての質問から入りたいと思います。

 1個目は、インターネットが今当たり前の世界になりましたが、これからはどんな世界になると思いますか、という質問です。

村井: いきなり難しくない? 最初にしては(笑)

 まず、当たり前の世界になったってすごいことだと思うんだよね。それで、この授業では今回歴史の話をしたけど、90年からこのキャンパスをやって、このキャンパスは当たり前であったけど、世の中は当たり前じゃ無かった。それで、井庭ちゃんが今スライド持ってて俺も持ってるんだけど、95年にSFCのキャンパスの統計を取って、学生のインタビューを取って、それでアンケートを取ってそれを井下先生っていう先生がまとめた調査結果があって。その中に、電子メールやインターネットで恋をした人とか、泣いた人とかそういうのが書いてあって、それがすごく多いんだよね。95年でインターネット誰も知らないので、世の中、その統計の論文に彼(井下先生)書いてたんだよね。それで、その論文の結果を俺がスライドにして、世界中で講演するわけ。そうすると日本は特に「気持ち悪い」とか言うわけ。メール見て泣いたとか笑った、とか言って。そうするとそれをすごく反応するんで。だけど、SFCじゃ当たり前で、SFC以外じゃ当たり前じゃないっていうときがあったと。それで、そうこうしているうちにインターネットは当たり前になって。いろんなことを言う人がいるんだけど、みんなはどう思うかわからないんだけど、ここまで当たり前になると「知らない」って言うんだよね。これがインターネットだって分かってなくて、「LINEは使うけどインターネットは知らない」とか、「私はPayPay使ってますけどインターネットは使ったことがありません」とか、そういう人が出てきちゃうんじゃないの? っていう声があって。

 それで、これからどういう世界になるかなんて分かんないだけど、(これからはどんな世界に)なると思うか? っていうそういう誰か任せみたいな考え方は持ってないんだよ。どういう世界にしたいかっていうことなら、かなりチャレンジングなことがあるなとは思うけど。最後にも言うけど、インターネットは人類が初めて地球上で、人間が同じようにデジタルデータを共有してコミュニケーションができる、こういう環境を創った。それが当たり前になった、つまり有るのが当たり前である。その上で、いろいろなことがわれわれの社会には起こるけれども、良いこと悪いこと、それからナショナリズム、戦争、サイバーセキュリティのイシュー、いろいろ起こるんだけど、じゃあこれからそれがすごく悪くなるのか良くなるのかっていうことを考えたときに、それだけ答えておくとね、ほとんどのSF映画の未来像みたいなの見るじゃん。そうすると大抵すさんでるね。大体、テクノロジーが発展しすぎてロボットにやられてターミネーター、みたいな。なんかそういう話がすごく多いんだよね。それで、なんであんな悲観的になるかなとは思うんだけど、でもそれは持っていきようだと思うので。

 やっぱりここまでこういう世界をつくってきて、いろんなときに俺は、「世の中悪くなったのはインターネットを創ったおまえのせいだ」っていろんな人に言われてたけど、「はいはい」って言いながらもそこからそれをなんとか、そう(世の中が悪く)ならないようにするための技術の開発ももちろんしてきたわけだけど。でもやっぱり人間が何したいっていうことのプラットフォームを創ってるわけだから、そうすると人間は何したいっていうのは、結構良いことをしたいんじゃないかと思うんだよ。またこういうことを言うとナショナリズムって言われるけど、特にこの国はね。だからそういう意味で、インターネットの基盤ってどんどん良くなるんだけど、良くなるといろんなことがやりやすくなるから悪いこともやりやすくなるんだけど、良いことがやりやすくなるといろんな問題を解いたり、人のためになることをしようとか自分のためになることをしようとか、そういうことがどんどん発展するんで、これからはそういう問題を解決するためのコストが小さくて、そうするとやっぱりいろんな問題を解決しながら発展的に前へ進む世界になると僕は思ってます。だから、超オプティミスティックなの。

教員: なるほど。もう、1個目の質問から非常にファンサービスがうっとりで、このままいくと3時間ぐらいかかっちゃうかもしれないのでいこうと思いますけど(笑)

 次が、インターネット時代の情報の取捨選択の方法についてです。たくさん情報があふれてるときに、どういう情報を選べば良いですかっていうことがあれば、という質問が何個か来ております。

村井: 良いポイントで、もうちょっと待ってください。俺が今からやるのはこの話かもしれないなって思っていて。

 今、「国境なきジャーナリスト」っていうグループがあって、パリやヨーロッパ中心に活動している。そこからのアプローチがあって、いわば「フェイクニュース」だとか「新しいジャーナリズム」とか「広告のビジネスモデル」とか、そういう問題をどうやったら解決できるだろうって。ジャーナリストの人はシリアスだよね、すごく。そもそも新聞のメディアとかテレビとか、そういうもののメディアの広告のビジネス的な力が弱まってるから、メディアとして。代わりにいろんなメディアが出てくるけど、そこにはコンシューマー・ジェネレーションのメディアで動いている。そうすると、本当に質の高いジャーナリズムっていうのはどうやってつくれるんだろう、ということを考えているんだと思うんだよ。それで、そのグループの人から今アプローチがあって、その問題、まあ俺の場合は技術のプラットフォームを創ることだけど、その人たちがトラストをつくりながらグローバルな空間で新しいジャーナリズムの活動ができるような環境はどうすれば良いですかっていう研究課題を持ってきたんだよ。これ、答えは無いよ? それでそうなってくると、そこが狙ってるのは取捨選択の方法、例えばIDのトラストっていうのがあるんだけど、授業で何度か言ったけどアノニマスのIDは必ずしも危ないもんじゃないんだよ。TwitterのIDってなんでも付けられるけど、でも世の中が人間とものすごくタイトになるIDを持っているのは、リアル ドナルド・トランプさん。この人は本当に、Twitter見ると本物がちゃんとしゃべってる。このことのパスポートとの裏付けも無いけど、もうあまりに歴史が流れて彼だったことが分かるんだよ。

 というわけで、IDを政府発行のものに結びつければ信用ができるっていう単純な話じゃなくて、そして誰が何を発信しているのかってことが分かってくれば、今度はみんなのレピュテーションやコミュニティーとして、この人は信用できるとかこの人は本物だとか、この人の言うことを聞いてるとこうなるとか、そういうことをわれわれは日常で考えて、今まで何何新聞なら信用できるだろうとか何何新聞はどっちに寄ってるだろうとかそんな話があったのと同じように、個人の情報のエンティティでそういうものを取捨選択ができるような方法が徐々に出来てくるだろうなというふうに思ってるのね。だけど、今無いとは言ってないんだよ。だからリアル ドナルド・トランプは、本人がフェイクニュースって言うからどっちがフェイクニュースだかよく分かんないんだけど、だけどこの人が言っているこういうメッセージだっていうことは分かりながら、今のところ世の中は推移するようになってて、もう既にそこに俺たちの取捨選択の方法はだんだんアダプティブに確立してると。それでアドバイスは、どうすれば良いのかなって考えてるとそれを実現するのは良いことなので自分一人でもできるんだよ。これ面白いよって言って人に伝えるってことができれば、そういうコミュニティーとしての取捨選択の方法のクオリティーはある方向に上がるから、そういうことはもうみんなやってんだよ。というわけで、まあ大丈夫だよ、うまくいくよ。ハハ。

教員: では、ちょっともしかしたらかぶってるかもしれませんけど、もう1つあった質問として、議論の場としてのインターネット空間について。

 今やインターネットの上で行われているさまざまなコミュニケーションについて、どういうふうな意見を持っていますか、というような質問ですね。

村井: まあ、これの方が嫌だね。嫌だねっていうのは、なんか炎上するじゃん、すぐ。だからそれを恐れてみんな言えなくなってると思って。でもすごく勇気のある人がいて、俺個人的によく知ってる人で、炎上覚悟でスパンって言うみたいな人がいるよね。それでもう、炎上しても全然気にしないでいて。まあきちんと答える人もいるし。だからいろんなことができるようになってきたなと思う。それで、完全にオープンな場で議論するとノイズが入るから嫌だっていう人も、例えばSFCの学生とはこういう議論をしたいとか、この教室でこのクラスを履修してるやつとはこういう話をしたいとかいろんなことができるので、インターネット空間は、例えばジオグラフィカルなロケーションに依存しないとか所属に依存しないとか、そういう議論ができる場所というためにはめちゃくちゃ自由になったんじゃないかな。タダ、タダだからね、テレビ会議タダだからね。世界中に散っててテレビ会議でずっと話してて誰もお金払わないって。まあタダっていう言い方も、サブスク、ISPには金払ってるぜってのはあるんだけどさ。だけどすごいね、みんな本当知らないと思うけどさ、国際電話ってお金取ってたときがあるんだぜっていう。電話で金取ってた人たちいたんだぜ、みたいな。今の学生知らない?

教員: みんなもしかしたら通話もタダだと思ってるかもしれません(笑)

 あといくつか寄せられてる質問で、これからのインターネットに限らずっていうところですけれども、人とコンピュータの関わり方、インターフェースっていうのはこれからどういうふうに変わっていくと思いますか、という質問もいくつかありました。

村井: どうやって変わっていくと思いますか。

(学生に向かってマイクを傾ける)

学生A: うーん、難しいですけれど、どこまでコンピュータが人の生活に入ってくるのか、人間がどこまで受け入れるのかがそうなのかな、と思いますけど、そんなに入ってきてほしくはないです。

村井: (入ってきて)ほしくはないけどね。

 どう思う? 人間とコンピュータのインターフェース、界面、どこから先がコンピュータやインターネットの世界になる? 今ここだよな、この辺のパソコンとかな。

学生B: 一定の距離は。

村井: 一定の距離は保ちたい、あんまり入ってきてほしくないな。一定の距離は保ちたいなと2人の人は言いました。それで、インターフェースって意味がいろいろあるんだけどさ、めちゃくちゃ変わると思うんだよ、俺は。

 例えば車を運転して行きたい場所があるよね。そして、どのレストランに行きなさいって言うよね。それで、レストランの名前を騒ぐという以外の運転の仕方をする人は1人もいないよね、1人も。「自宅に帰る」とか言うと自宅に帰れるよね、どこにいても。今のカーナビはね。カーナビで自宅に帰るっていうと自宅まで案内してくれる。そうすると、もう音声のインターフェースはカーナビではかなり早くから手が塞がってるから、俺もスマホでメッセージとか打つのに、増井さんには悪いけどフリック入力っていうのが苦手でつい間違えるね。でも、増井に「フリック入力使えねーじゃねーか」とか言うとすっげー怒られるから、喧嘩になるから。一応知らない人には言っておくけど、増井さんっていうのがフリック入力っていうのを作ったファカルティでここにいるんだけどさ。とにかくみんな早いんだよね、若い奴はね。

 おまえ、早い? フリック入力?

村井: あ、携帯、入力。それは増井さんに言えないね。でもエラーが多いので、俺1人で周り気にしないときはやっぱりしゃべっちゃうんだよね。だんだん音声の認識の質が上がってきているから。今、このキャンパスでは修士の中間発表がポスターになったんだよ。それで、ポスターに行って説明を学生から聞いて、コメントを入れなさいってコメントの欄がうわーってあって、それを打つのか、みたいな。しかもポスターって歩いてるから、スマホしか持ってないんだよ。もうしょうがが無いから全部しゃべって入れてるんだよ。そうするとだんだん流行ってきて、みんな他のファカルティも「あれ? しゃべって入るんだ」ってクオリティーがいつの間にか上がってて気が付いていない人がいる。そうするとだんだん味を占めて、俺は原稿を書くとかそういうのも、ただただスマホにしゃべってるっていうので書いちゃうっていうのはあって。

 それで、だんだん変わってきてるね。俺自身も変わってきてる。みんなもそうだと思う。それからさっきの「あんまり入られたくないな」っていうのがあって、俺は結構ね、家の絶対嫌だという面がある。家の鏡の裏側に高解像度のカメラを付けて、ずっと鏡に向かう度に…鏡に向かうでしょ、毎日? 向かう? 

学生C: (首をかしげる)

村井: 俺も向かわない。俺、向かうのは女だけだと思ってたんだよ、長い間。ハハハ。まあ、俺は鏡見ない。とにかく毎日同じところで見ると、このデータをずっと毎日取っていると、健康状態が分かるんだよ。それで、もちろんトイレからっていうのも健康状態が分かる。スマートハウスってこうしていろんなことが分かるので、健康のことだけ考えるなら取られても良いデータだと思うんだよ。それで、それ以外には使われない。気持ち悪いと思うかもしれないけど、最初は。でも「自分の健康の見方、それ以外では絶対使われないデータだ」、こういうふうになったら絶対に素晴らしいインターフェースになる。

 というわけで、スマートハウスってそういうふうになると思います。なぜなら、人間の健康は人間が生きてくためにもっとも重要な基本のことだから。そういう意味で、このインターフェースっていうのは変化をしていくし、トラスティドなコンピュータとの接点でわれわれの人間のデータが、特に健康のため、あるいは災害のときの命を救うため、こういうために使われるようになると思うので、すげー変化すると思う。

教員: 次の質問を見越して回答しているんじゃないかと思ってあれですけども、補足でいくつかあった質問は、これから先もどんどん新しい技術が出てくるとしたときに、そういう新しい技術、今だとAIとか自動運転とか例がありましたけど、そういうものが出てきたときの向き合い方で何かアドバイスがあれば、っていう質問です。

村井: 俺12月に追突されたんだよ、東名(高速道路)でまた。それでその前は、話したと思うけど俺が足をけがしてたときに運転しててもらった運転手が脳梗塞になって、東名で。それで、レーン出そうになるけどウインカー出してないから戻ってきて、みたいな。それで俺は命を救われたんだよ。それが2年前でしょ。それで12月にまた東名の横浜で追突ガツンってされて、後ろの車はぺっちゃんこ廃車。それで俺の車は後ろから追突される直前に、シートベルトをギューって締めてタイヤをロックするっていう追突のためのメカニズムが付いてたの。というわけで、僕はなんかダメージ受けたのかもしれないけど気が付いてないみたいな。ハハハ。次の日から痛くもなく動いてる、みたいな。やっぱり人間の体を守る方向にいくんじゃないですか、自動運転って。他になんかあんのかな。

 あ、俺ね、結構しゃべるのうまいんだよ、カーナビに。「自宅に帰る」とか「ホテルニューオータニ行く」とかいうと、大体俺のミスリードしない喋り方とかできる。

教員: 素晴らしい。僕、「SFCに」って言ったら長万部に連れて行かれそうになったことありますよ、ハハハ。それは上手ですね、さすが。インターフェースが進んでいると。

 あといくつかあるんですが、ちょっとなるべくたくさんのものをと思いますのでアドバイス編ですね。

 大学の授業は役に立つと思いますか。あと、大学のうちに何かこれだけはやっておけってことがあれば教えてください、っていう質問です。

村井: 俺に聞く、これ? ハハハ。

 まず、俺の大学の時代には授業受けてないよ。つまんないもん。大丈夫か、これ? 俺、学部長のときは言えなかったんだよ、これ。もう最後の授業だから全部バラすけど、俺は大学6年間かかって。日吉が4年間か。日吉4年間かかるって何かっていうと、一般教養だからなんだよ。一般教養って経済の基礎とか哲学とかそういうの勉強するんだよ。それで、これずっと勉強してると「なんで俺経済学が必要なんだっけ」「なんで俺哲学が必要なんだっけ」「なんで俺美術だっけ」みたいなのがあって、そう思って受けてるとつまんないんだよ。だから成績悪くて、その他の理由もあるけど留年してたわけ。それでSFC作るときに、「止めよう、それ」って思ったの。押しつけられて受けるとつまんないんだよ。ところが、「あ、経済学って何だっけ」って、俺ちょっと知っとかなきゃなっていって受けるとめちゃくちゃ面白いんだよ。当たり前だよね、すごい先生が教えてるんだから。というわけで、SFCはその順番こだわるの止めようと言って、面白いことをやって必要だと思ったら、その授業や立派な授業があるようにカリキュラム作ればいいじゃん、というふうに作ってあるわけ。だから日吉と一緒にできないんだよ。それで、それはSFCのいわば成功の秘密だとも言えるんだよ。だから、1年からいきなり研究活動やって、必要だと思ったものは一生懸命勉強しようと思うとまず効率が良いんだよね。そういう意味で大学の授業は、「役に立たないもんは言ってくれよ、止めさせるから」っていうのは学部長時代は思ってたけど。だから、役に立つものと立たないものがあると思うんだけど、基本的に(役に)立つと思うんだよ。SFCの授業はグループワークが多いので、その授業は役に立つかって言われると結局(役に)立つんだよ。皆さんが作る授業だから。

 次、2行目の質問は全然違う質問だけど、大学生のうちにやっておいた方が良いことは何か。もう俺にこれを聞いたら答えが1個しかないのに分かってて聞くなよ、っていう。もう絶対にやっておいた方がいいのは好きなことだね。好きなことを思い切りやる。これ、できないから、大学生以外。っていうか最後だから。もう就職したら好きなこと思い切りできないんだよ? 万一サラリーマンになったら、週5日とか朝から晩まで行くんだよ。言われたことやるんだよ。今なら好きなことできるじゃん。というわけで、絶対に好きなことを夢中になってやるべきだ。

 もう1個、いい友達を作れ。はい、終わり。

教員: 自分が本当に好きなものはどうやって見つければ良いですか、という質問も来ています。

村井: 分からないか、これ? 好きなことない人手挙げて、見つからない人手挙げて、もっとたくさん好きなこと見つけたいなと思う人手挙げて。あー、そうだよね。SFCを30年間見てて、本当は見つからないやつがいっぱいいて、それが一番の悩みで、SFCのようなスタイルのキャンパスを運営してると、みんな好きなことがあってきらきらしてんだけど、あたしはどうすればいいんだろうっていう悩みはすごく多いんだよね。だからこの質問はよく分かる。それで、俺のわずかな30年の経験で青春の学生と付き合ってて、「あー、見つかった」っていうのは友達を通じてだよね、先生を通じてとかね。例えば、俺が何が好きだかわかるだろ、もう。そうすると、授業を通じて俺から分かるってこともあるよ。それから、全然関係ない友達、研究室とは関係ない友達。例えばサークルだとかどっかでばったり出会ったとか。そういう友達と話してると、全然違うことに夢中になってる人とかと出会うことがある。そうすると「あ、これって面白いかもしれない」っていうことに気が付くので、このSFCのデザインでできるだけ気を付けてたのは、研究室入っちゃうと研究室にズポーンと行って出てこないとか、サークル行ったらサークル以外に出てこないっていうのは、それもそれでいいんだけどさ、好きなことやってるから。だけど、なんかそういうんじゃない出会いができるようになんないかなって言って、例えば今体育のクラスとかすごく大事な役割を果たしてると思うんだよ、全然知らない人と一緒のことをやらなきゃいけないっていうのは。それで、履修するっていっても全然関係ない人と一緒に履修をして、それで友達になって、そこを知ると「なんかこいつのやってること良い、面白そうだよね」っていうのが見つかるから、こうやってやっぱり人を通じて見つかるんじゃないかなとは思うけど。素敵に夢中になってる人から学べるんじゃない?

教員: これはさっきもう回答があったので飛ばしますけども、次が、修士もそうなんですが、博士課程の進学、あるいは大学院の進学ってどうですか、とか先生はおすすめされますか、っていう質問も何個か寄せられています。

村井: ちょっとヤスニャンこっち来て。お前は今何年だ?

教員(豊田): 僕、今修士2年です。

村井: どうすんの、来年?

教員(豊田): 博士課程に行きます。

村井: ほら。というわけです。

(会場拍手)

教員: あくまで個人の感想です、みたいな。ハハハ。違います? 大丈夫ですね。

村井: いや、あのね、ヤスニャンもそうとう悩んだんだよな、いろいろ。俺もね、いろんなことをやったんだけど、博士行きたくないやつ、まあヤスニャンもそうなんだけどね、俺今修士見るじゃん。修士見ててね、もう結構さぼってぎりぎりまであんま見てないんだけどさ、もう提出しちゃったよとかいう修士見てるんだよ、今。それでそうすると、大学で(修士)見てて、「なんだこいつ。おい、こいつ今いるか?」って言ったら、「いや、なんか発表の準備で机の下で寝てます」って。それで行ったら机の下で寝てて、蹴飛ばして「おい起きろよ、起きろよ。お前さ、これからどうすんの?」って言ったら「いや、何とか会社に就職します」って言うから「あ、そう。じゃあ俺今電話して断ってやるからさ、博士課程行けよ」って言ったことあるんだよね、本当にね。来てるかどうか知らないけど。そういうやついるんだよね。そういうことやると、今だったらパワハラとかアカハラとか言って殺されそうですけど、今日で終わりだからいいや。ハハハ。でもちゃんとすごい立派にドクターになった人ばっかりですから、ヤスニャン心配すんなよ。

教員: 良いコメントですね、良かった。

 あと、村井先生の原動力みたいなものに対してですね。すごい質問ですね、どうしてインターネットを作ろう、もしくはインターネットを研究しようと思ったのですか、という質問です。

村井: これについて授業でも言ったんだよね。高校大学の最初の頃にコンピュータ大嫌いで。それでその頃のコンピュータはメインフレームで、偉そうに真ん中に鎮座してて、なんか行列してカードとか持っていって、ガーって読ませると2日後に結果が出るみたいな。計算機ってそういうもんだから。弾道計算とか軌道計算とか、そういうすごい難しい物理学の式が解けて嬉しいな、みたいなそういうのが、俺たちが高校大学の最初のころのコンピュータのモデルで、メインフレームはでかい、高い。慶應にもあったけど、高校も大学のコンピュータ借りて行列作って、まあラーメン二郎の行列みたいな。それで、「コンピュータ様、計算してください」みたいな行列がある。偉そうだよね、コンピュータが。俺の頭の中のイメージは、コンピュータが偉くて、その周りに計算してもらいたい人が群がってる、そんな計算機中心みたいな。なんかそういうの大嫌いで。俺、ずっとキャンプのカウンセラーをやってたんだよ。野外教育をずっとやってたんだよ。なんとなく人間のことが好きで、人間が中心じゃ無いと気が済まない。だから、コンピュータをやるやつも嫌いだったし、コンピュータの授業も避けて。そのころ、必修じゃなかったから避けて通れたんだよ。それで俺は数学なんだけど、数学はコンピュータ無くたって当時解けた。数学科にはコンピュータの先生がいて、仕方ないからそこの課題があってやると。あ、矢上(キャンパス)で専門になってからね。ついに幸せだった日吉の4年間を越えて、晴れて矢上の数理工学科ってところに専門で入って。そうすると、コンピュータのアセンブラの必修の科目があってそれをやったわけ。そうしたら先生が来て、お前は面白いって肩たたかれて、「一緒に研究の手伝いしない?」って言われたんだよ。中西正和先生ってLISPの先生で、亡くなりましたけど。俺とか冨田勝の先生なんだけど。それで、なんと言っても衝撃の事件だったんですよ、大学5年目、初めて大学の先生と話したの。すごいだろ。大学ってところに俺は来たけど、大学の先生が話し掛けてきて、しかもお前は面白いって言ってくれた。この衝撃に俺は5年かかったね。だからみんな4年で卒業したいなんて思わない方がいいよ、本当に。そしてそれはなんで面白いかっていうと、やりたいことをやるような課題の根拠、今はゲーム作るんだけど、それがなんか面白い。そうするとだんだんその頃から、例えばワープロとか出てきて、ワープロってコンピュータで出来てるけど人間の道具だよね。人間がいて、それを支えるための道具化してきてるコンピュータがちらほら見えてきてる。元の俺のコンピュータのイメージは、コンピュータが真ん中にあって人間が群がってるみたいなイメージだったのに、人間が真ん中にあって道具が散らばってて、それが人間を支えるみたいなそんなイメージがついに持てるようになってきたので、その絵を描いたの、学部のときにいきなり。始めはコンピュータが真ん中、周りに人間がいる。もう1枚の絵は、人間が真ん中、周りにコンピュータがある。それで考えたわけ、このコンピュータと人間が話してると、命令してると、なんか面倒くさい。それで、例えば秘書が3人いて、通訳が3人いて、それぞれ秘書なりに全部話しながらお願いしてたら時間が3倍かかっちゃう。だけど、秘書の代表みたいなのがいて、その人が他の秘書と連携してくれていれば、自分を助ける秘書のモデルってそういうので出来るんだろうなって思ったわけ。それで、じゃあ人間の周りにあるコンピュータってのが手をつないで、真ん中の人間のことを支えるようになんなきゃいけないよなってそのとき思って、そういうことができないかなと思ったの。それでできなかったね、そのときのコンピュータは。だから俺はインターネットを作ろうと思ったというよりは、コンピュータが人間を支える仕組みを作りたい、そのためにコンピュータはコンピュータ同士で話さなきゃいけない。それがコンピュータネットワークの研究をしたきっかけ。分かった?

教員: 分かりました。僕が分かってもしょうがないか。ハハ。大丈夫ですかね、質問した人、何人かいると思います。

 あと2つあるんですけど、1つはインターネットを作ってきて後悔したことを聞かせてください、というものと、インターネットを作ってきた中で楽しかったことはあったのでしょうかって、全部つらいと思ってるのかなって気もするんですけども。つらかったことと楽しかったことがあればっていう質問も来ています。

村井: 最初何?

教員: 後悔したこと。

村井: 無いね。

教員: 無い!かっこいいですね。じゃあ、楽しかったことはなんでしょう。

村井: 全部楽しかったね。

教員: 素晴らしい。ハハハ。

(会場拍手)

教員: あとここから少し、村井さんの個人への質問みたいなものもいくつかあるんですけども。

 最初の質問、結構(たくさん)来ましたね。どうしてSFCで定年まで勤められたのか、あるいはSFCにずっといたのか。海外に行く機会もあったと思うんですけど、行かなかったのはなぜですか、っていうような質問も来ていました。

村井: 鋭い質問だね、この質問。っていうかこの話したことないね、俺。

 やっぱり(海外に)行きたかったし行くべきだと思ってて、実はポジションもオファーしてもらったことあるんだよ。それで、給料も見て目が飛び出て、どうして日本よりこんなに高いんだろうって思って。特に大学のときは、本当に用意して「来て下さい!」みたいなところもあったけれど、それからドクターのときも、東工大、東大と行ってここへ来てからも、でも一度も行っていないんですよ。開発のときに、相当バークレーに入り浸ってたことはあるし、徳田さんがCMU(カーネギー・メロン大学)行ったときに、何日も行ったことがあるけど、勤めたのは東工大と東大と慶應だけなんですね。それで、一応オファーが確かにあったんだよね、負け惜しみで言ってんじゃなくて本当にあったんだけどさ。なんで行かなかったかって言うとね、これ言うと修辺りに怒られるんだけどさ、あの後ろの方に座ってる奴らに怒られるんだけどさ。今俺がこの国を離れたら、日本のネットワークが止まるなってやっぱ思ったんだよね。ダウンするな、と。もうちょっと経ってからじゃないと駄目かなとかっていうふうに僕は思ってたわけ、勝手に。きっと俺がいなくなれば、残ってたやつらがうまくやってそんなことは無いんだよな、普通は。だけど、俺はそう思ってたの。だから、海外に行かなかったのはなぜですかっていうのを正直に答えると、今俺がいなくなると、やっぱ(日本のネットワークは)止まっちゃうんじゃないかなって若い頃思ってたんだよね。でもそれはうぬぼれであって、多分そうじゃなかったんだと思う。なんか、俺が留守にすると動かなくなるんじゃないかなっていう心配があったから。

 それで、ひどいんだよなー、俺の定年。慶應義塾の定年ってひどいんだよ。65歳が定年だから、65歳が終わるときにクビにすりゃいいじゃん。でも、65歳になったら4月1日を迎えちゃいけないっていうのがルールなの。俺の誕生日3月29日なんだよ。それでさ、3日? みたいな。始めにエントリーで得してないから、早生まれって大体いいことあったんだけどこれだけは納得いかないけど。でもまあ65歳で3日勤めますんで。本当に勤めるのかな?でも卒業式行くよ、今年。

教員: 非常に良い話の次に聞くのもなんですが…。ここから一問一答形式ですね。村井さんの一番好きなお金の使い方はなんですか。

村井: これはね、学生にうまいもん食わせること

(会場拍手)

村井: これが嬉しいんだよ。なぜかって言うとね、大人にうまいもん食わせても喜ばないね。だって自分で食えるじゃん、みたいに思うじゃん。やっぱ楽しみだね、これね。「お前食ったことないだろ、これ」みたいな。ハハハ。

教員: あとは、村井先生の尊敬する人は誰ですか。

村井: 尊敬する人…。いっぱいい過ぎてあれだけど、やっぱ俺が最も持ってない力を持っている音楽家かな。

教員: 音楽家(笑)

村井: 絶対俺にはできない、ずるいって思うね。

教員: なるほど。

 生まれ変わったら何になりたいですか。

村井: 音楽家だね。

(会場笑い)

村井: あ、ねえ、定年後何をやるんですかっていう質問は…? あるんですね。まあ、いいや。

 生まれ変わったら…、バナナかな…。

教員: バナナ?

村井: …どうぞ、次行ってください。

(会場笑い)

教員: すごい会場がザワザワしてますけど、大丈夫ですか。

村井: なんで今そう言ってみたかっていうとね、長女が生まれて、ユミコっていうんだけど、「ユミちゃん、大人になったら何になりたいの?」って聞いたら、「バナナ」って言ったんだよ。だから一応それを尊重して、彼女はバナナになりたかったらしいんだよね、大きくなったら。だから俺もバナナになってみようかなっていう気に、今。

教員: 次が、温泉掘削計画の進捗をお聞きしたいです。

村井: 止まってて申し訳ないんだけど、このプロジェクトは知らない人もいると思うんだけど、SFCに温泉を掘ろうと思っていて。この理由は、掘るの高いんだけど、あるところでSFCのすごいサポーターで、大分の温泉を掘るっていうのに投資してた人がいるんだよ。それで、この人まだSFCのサポーターだから止まってないんだよ。まだ終わった話じゃないんだけど、そしたらそのプロジェクトが頓挫しちゃったわけ。従って投資したお金は戻ってきたんだよね、やらなかったから。そうするとこれ、温泉に使った金だから、温泉を掘る夢のために投資した金なんだよ。この人が「これで温泉を掘るところないかな」って言うから、「SFCに掘ろう」って言ったの。それで、温泉課ってのがあるんだよ、神奈川県に。温泉っていうのは泉脈があって、泉脈の沿線に他の商業温泉があったりすると難しいとかそういういろいろな事情があるんだけど、それを一応調べてもらったら、良いんだよ。掘って良いの。そこまで分かったわけ。そのあと、ちょっと名前が分かっちゃうとまずいんだけど、その人がいろんなところ誘ってくるんだよ。どっか遊びに行きましょうとか、アフリカ遊びに行きましょうとか、お金持ちだから。そういうのについて行くと、じゃあ次の瞬間温泉掘るっていう感じになるかなと思ったけど、なかなか時間が取れないからオファーを振るわけ。ずっと振り続けてるから、だんだん良い感じ持ってないかもしれないねって、俺に。ハハ。それで一生懸命彼と遊んでると、きっと良くなる。今度リタイアして授業無くなると、少しアフリカとかそういうところに遊びに行けるから、そうすると温泉は戻ってくるかもしれない。

教員: 一問一答でって言ったのに、こんなに温泉の話をインターネットの授業で聞くとは思いませんでしたけど

 あと、明日死ぬとしたら今日何をしますか。

村井: 何だよそれー(笑)うまいもん食うよ

教員: うまいもの、はい。

 あとこれは結構僕は衝撃でしたね。村井さんはこれまでに何か音楽をされていたのでしょうかという質問が来る!

村井: いやもう俺は自分では聴くのだけで。小学校のとき縦笛とかやったかな…。嘘だ、今の。僕、大学のときは、2年を4回やったうちに「東京大学ブルース研究会」っていうバンドやってて。東大って五月祭(ごがつさい)っていうのと、女子校は五月祭(さつきさい)っていうんだけど、東大の五月祭は駒場でやるの。それから本郷でやるのを駒場祭と五月祭っていうのかな。それで、本郷と駒場で春と秋に文化祭があるんだよ。これ全部出たから、4年間、2年のとき。つまり8回出て、ブルースばっかりやってて。そのとき隣の教室でやってて、「エレキの音はうるさい」とか言われたのは中島みゆきさん、昔の話です。それで、僕たちのMCやってくれた人は、夏目雅子さんという、女学館の2年生の。そのあと大女優になりましたね。一緒にずっと舞台の上でMCやってくれて。それで、そういうことはやってましたけど…やってたよ。だから俺は…まあいいや。言いたいことあるんだけど、あとで出てくるんだよな。

教員: 分かりました。

 あといくつかですね、例えばSFCについての質問というところで、先に読み上げちゃいますね。社会にとってこのSFCという大学、あるいは学部は成功だったと思いますか、とか、村井先生がいなくなった後のSFCがどうなるのかの予想を教えて下さい、とか、SFCはどんな大学になっていってほしいですか、あるいはSFCの学生に期待することは何ですか、みたいな、SFCがこれからどういう風な、もしくは村井さんがSFCのことどう思ってるのかっていう質問もかなり多かった…。

村井: ちょっと待って。何でそんなすらすら言っちゃうわけ、これ。

教員: え、どれですか?

村井: いや、この質問。

教員: SFCの学生に期待すること…。

村井: 違う違う、その前も。なんで飛ばしちゃったわけ?

教員: 最後にまとめて返事をしますっていう…。それとも一問一答で行きますか?

村井: あっ、そう言ったっけ…。プレゼンにそんなこと書いてないよ。

教員: じゃあ、1個ずついきますか。ただ、お時間もありますので(笑)

村井: 時間ってまだあるんじゃないの? 2時半までじゃないの?

教員: 最後、村井先生のスライドも結構ありますよ?

村井: あー。

教員: でも時間の許す限りいきましょうか。

 社会にとって、SFCという大学は成功だったと思いますか。

村井: 思うよ、大成功だよ

教員: あ、次で良いんだ。ハハハ。

(会場爆笑)

教員: 温泉よりも今の話に尺を取るべきだったんじゃないかと思いますが、まあまあ。ハハハ。

 村井先生がいなくなった後のSFCはどうなると思いますか。

村井: もうどんどん良くなるよ

(会場爆笑)

教員: SFCはどんな大学になっていってほしいですか。

村井: もう最高の大学になってほしいよ

(会場爆笑)

教員: SFCの学生に期待することは何ですか。

村井: 3つぐらいあるんだよ。

 好きなことをやれ。自分を好きになれ。自信を持て。友達と仲良くしろ。終わり。

(会場笑い)

教員: さすがですね。落ちがちゃんと付いてる。

 最後の質問です。結構哲学的な質問もいくつかあって、なかなかこの授業をやっていてこの質問来るのもすごいなと思ったんですけど。「インターネットって何ですか」、これは僕、逆に深いなと思ったんですけど。これは最後スライドで? それとも今一言お返事しますか?

村井: あとで言う。

教員: あともう1つ。「この講義で一番伝えてきた、伝えたかったことは何ですか」っていうような質問も来ていますので。

村井: はい、それでは。今回はこのインターネットの授業は歴史みたいな話をしていたので、その延長なんだけど、これも30年やってきた最後の授業だから、オーバーラップするのは初めて来てる人は勘弁してもらって…。

 SFCとインターネットの話をしてみますね。俺は長い間、環境情報学部長をやってたんだよね。それで俺の完璧な考え方は、環境情報学部と総合政策学部の区別は無い。これがずっと俺が思ってたことなんだよ。区別があるって言うことを言うやつもいるんだけどさ、今の土屋総合政策学部長みたいに。いるんだよ、いつでも。言いたいやつは環境情報でもいたんだよ。名前言えないけど冨田勝っていうのが、「もう環境情報は違うんだよ」みたいな、そういうことをあいつが学部長だったときは言っていて。そして元はね、相磯先生。faculty of environmental informationっていう名前を、1990年になる前に俺たち集まって、環境情報はこういう英語にしようって。それで、相磯さんの言ってた環境情報は「人間が情報との関係を持つ、その全てが環境なんだよ」っていう。それを環境って言うんだよって。だから環境情報っていうのは、例えばエコロジーとかそういう環境学じゃないんだよね、本当のenvironmentじゃなくて。最初、相磯さんの考えてたのはその意味だったの。それでenvironmentって言っちゃうと環境学になっちゃうから、environmental informationって言って、informationが主でenvironmentが修飾語だっていうふうにして、英語でやろうって言ったわけ。そしたら、そうこうしているうちに、清水先生みたいな本当の環境からの先生が来ちゃって、だんだんエリーカとか電気自動車とか言って、「結構環境やるじゃん」っていう先生が増えてきて。まあ今で言うと蟹江みたいな。それで、「やっぱ環境って言っとくか」みたいな話になって。冨田が学部長だったときだと思うんだよな、environment and information。2つあるからstudiesって付けようって言って英語名だけ書いたの、それで環境情報学部ってなって。だから割合、ファカルティの中では環境の先生が今、すごく強くなってるの。だけど俺は知ったこっちゃなくて。SFCっていうのは、俺はいつも言ってたんだけど、「混浴風呂」。入ったことある? 混浴、混浴温泉、はやったよね。一応、入り口は男、女って書いてあるんだよ。それで、着替えるときは男、女。だけど中に入ると同じ風呂なんだよ。それがSFCなんだよ。だからどっちで入ってもいいんだよ。どういうことかっていうと、俺はずっと学部長のときこう言ってたの。「環境情報学部は人と地球だけ考えろ」って。人間がいて地球がある、これだけ考えていけばいい。これは、俺がインターネットを作ってるときも同じで、地球全体に1つの空間しかないのがインターネットだから合ってる。だから、俺が書いてる環境情報学部のディスクリプションってみんなまだ残ってるんだよ。なぜ残ってるかっていうと、俺のあとになった環境学部長2人目なんだけど、ああいうのは事務から「これどうしますか、直しますか?」って言われて「いや、面倒くさいから前のままでいいよ」っていうのがあるから、俺の書いたのがだいぶ残ってる。それで俺は全部書き換えてあるので、俺の前のやつが残ってることはない。だから、環境情報学部はこういう言葉がまだ残ってるんだよね。

 じゃあ総合政策学部はなんだっていうと、俺は総合政策学部じゃないんで残り全部

(会場爆笑)

村井: そうすると、SFC全体では全部のことが考えられる。これが俺のSFC観なんだよね。それでこれは何度も言ってるんだけど、インターネット文明って、俺たちはもうインターネットは道具から始まって文明になった、社会全体がっていうのはこれは何度も使っているんで。だからこの文明は、道具使って恐ろしいことやるんだけど、でも1つしか無いんだよな、インターネットは。元の文明ってのは世界にたくさんあるんだけど、でもインターネット文明っていうのは1個しかない、インターネットは地球に1個しかないから。ここが一番伝えたいことで、俺たちは国と国との間でこの地球を生きてるけど、インターネットは1個しかない。これが一番のバリューだと思う。人類は、インターネットの前には地球全体を1つの空間だと思って人間が生きる空間を持ってなかった。だが、インターネットでそれが出来た。でも、それと同時に国際空間も持ってる、戦争も起こる、経済制裁も起こるので、この2つを空間として同時に持ってて、それが当たり前だと思うのがインターネットネイティブ、インターネット文明時代の皆さん。俺たちはそれを作ってきたので。これを前提に1つの空間を作ってきたから、その間にいろんなコンフリクトもあったし、それからもっと重要なことは気が付かなかったね。みんな、もしインターネットが今日のようになるなら、あらかじめぶっ潰しておけば良かったって思うやつがきっといたと思うんだよ。だけど、そいつらが気が付く前に作っちゃった、従って出来たというところがあるので、これからどうなるかっていうと、潰しにかかってくるやつが絶対いるから。それで、これをどうするかをみんなに委ねたいね。守れよー、地球で人類が初めて1つの空間を作ったんだから、これを1つ1つの国の権利で分断したり、ぶっ壊したり、バラけさせたりさせるなよ。頼むぞ、ここまでやってきたんだから。それで、それが両方で生きてることがとても大事だと。これがインターネットのこの授業で一番伝えたかったことだし、みんなにお願いしたいことでもある。

 SFCは慶應義塾が本当に期待を持って作ったキャンパスなんだけど、福沢諭吉が『西洋事情』の中で、1866年だよ、「4つの海は一家。5つの族は兄弟。人類はみんな兄弟だ、ファミリーだ」、それで、左側にはそこが作ったもの。蒸気、経済、電気、電信、そしてそういった人間の道具たち。これが文明につながってくるっていう福沢先生の考えだったの。でも次の絵を見てください、恐ろしいでしょ。地球は1つで電信柱でつながってて、飛脚がそこを走ってるんだよ。インターネットだよ。それで、1866年にこの人(福沢諭吉)はそのコンセプトを持ってんだよ。鎖国してたばかりで飛び出た明治維新より前、このときにこの感覚を持ってるね。でもついに出来たんだよ。それで、福沢先生のこの思いはSFCが作ったんだよ、すごいね。

 このSFCは、石川塾長という塾長のアイデアから出来てる。石川先生ってこういう顔してんだよ、あんまり知らなかったかもしれないけど。戦後最長の4期16年務めた塾長、すごいね。文化勲章だとか、勲章いっぱいもらってるね。慶應の塾長でこんなに勲章もらってる人はかなり少ない。この彼のスピーチ、SFCを作ったスピーチ。

(会場全体に音源が流れる)

音源中のナレーション: 西暦1983年5月15日、日吉記念館で開かれた慶應義塾創立125年記念式典で、石川塾長は旧来の大学教育の不備を指摘し、新しい大学の在り方を熱く語った。後にこれは、湘南藤沢キャンパスの誕生のきっかけとなる名演説として、人々の間に記憶されることになる。

音源中の石川塾長 (石川忠雄): 教育の面におきましても、現在のような複雑で流動的で不確定な時代というのは、われわれが過去に経験しなかった新しい現象があとからあとから起こってくる時代であります。従ってその教育の問題も、ただ単に広く物を知るということではなくて、自分の頭で物を考える力、これをどういうふうに作っていくかということが、極めて大切になりつつあります。新しい現象に対して自分の頭で物を分析し、推理し、判断し構成する力、ここに教育の重点が移されてこなければならない。さらに、かつてわれわれが対象としなかった領域の研究というものも、ますます重大になりつつあります。しかも、学問分野との間の交渉領域の研究も極めて重大になってきております。こういうような学問の在り方の変化というものに対応していくために、これまでのような大学の体制だけでは決して十分ではないというふうに考えられるのであります。

村井: というわけでこれが1983年で、7年間の準備を経てSFCを作ったわけです。かなりのことがここで言い尽くされているんじゃないか? SFCがどういうことであるべきかとか、今までのことにとらわれないとか。SFCができて30年経つと、その間に同じ名前の学部が全国で出来てる。それで、SFCのAO入試はみんなコピーされているよね。そりゃそうだよ、SFCうまくいったから。だけど、そこでまた新しい問題がどんどん出てきて新しい力が必要になり、そしてそのことにずっとサステイナブルに対応できる仕組みをSFCの中に作らなきゃいけない。いろんな苦労してきたけど、この間5年間、俺たちがいなくなる分のファカルティの補充っていうのを5年分まとめてやろうって言って採ったんだよ。そのときの教員を採るための基準になんて書いてあるか知ってる? どうやって募集したか知ってる、教員を? 普通の大学は、経済学の教員が1つ足りないから1つ穴を埋めるぞ、とかそういうふうに聞くんだよ。コンピュータサイエンスな教員がいるって。そのとき、SFCはどういう教員を公募したんだろう。

(壇上から降りて学生席に行き、藤井進也准教授にマイクを傾ける)

藤井: ハハハ、僕ですか。いろいろカテゴリがありましたね。1番から30番、領域があるんですけど、0番っていうのがありましたね。0番は、「これまでのSFCに無い研究領域」でした。

村井: というわけで、俺はこれまでのSFCに無い研究領域、普通そういうの最後に書くんだよね。俺はそこから採ろうと思ってそれを0番っていうのにして、そしたら藤井が来たんだよ。それでこのときに来ている教員は、全部が藤井だったら困るんだけどさ、やっぱり今までにない人がいつでも入ってきて新しい力を作っていくっていうのは、とても大事なんじゃないかなと思ってやってみた。まあ画期的だったよ。大学の教員公募で「うちに無いやつ」っていう教員公募をする大学は絶対無かったと思うけど、そこで入ってきた人が必ず新しい力を作っていく。というわけで、成長し続けると思うよ。

 このキャンパスはカトカンっていう人と、相磯秀夫先生っていう環境情報学部長で、カトカンは慶應大学の加藤寛先生です。政府税制調査会会長って書いてある。これが初めての消費税の導入をやったんだよ。初めての消費税導入をやったとき、SFC1期生しかいないんだよ。それで授業で相談してるんだよね、学生と。「何パーセントにしようか」「消費税どうする?」みたいな。次の日新聞見ると、「税制調査会会長、3パーセントの消費税に決定」って書いてあるんだよ。学生たち、みんななんて思ったか知ってる? 「あ、俺が決めた」って。そういうところがSFCの面白いところだよ。

 次は相磯先生ね。相磯先生は僕らの先生なんですけど、そもそも「相磯研究室からは、村井純、徳田英幸や坂村健をはじめとするコンピュータ関連分野の多くの研究者を輩出した」って、相磯先生の良いこともっと書けよっていう。ハハハ。まあとにかく、この2人の学部長がこのキャンパスの顔で、俺実は秘密をこの間聞いたんだよ。井関先生っていう本当に作ってる人たちっていうのがいるんだよ。それが、この2人を学部長にするっていうストーリーの件をこの間初めて井関先生から聞いたんだよ。井関先生と高橋潤二郎っていう2人の先生が、このキャンパスの企みをずっと作っていたんだよ。本当の哲学者って石川先生から言われて。それであるとき、石川先生に陳情に行ったっていうんだよ。井関先生から聞いたんだよ? フェイクニュースかもしれないよ、とか言って。ハハハ。でも井関先生は当時の副学部長だから。それで、プロデューサーが高橋潤二郎と井関さんなの。それで準備してて、「これだ、これだ」って言って大体の骨格ができて、俺なんかも東大から呼んで準備室とか入れて、インターネットをどうするかとか。そしてある時期に、実は俺は行ったんだよ、石川さんのところに。それでこう言ったんだよ。「僕も高橋潤二郎先生も相磯先生も、ものすごくきちんとできるけど、やっぱり世の中にこれだけ違うことをやるっていうシンボリックな看板がいるんだ。だから経済学部から加藤をよこせ」って。一方加藤さんは「喜んで行くよ」って言ったらしいんだけどさ。それで加藤さんも三田では相当はみ出し者っていう感じだったからさ。もうあまりに外で活躍して有名だから、普通のアカデミズムから言うと、大体そういうのはちょっといろめがねで見られちゃう、まあSFCってそういう先生多いんだよね。というわけで、SFCにいる人っていうのはなんとなく激しい人多いでしょ? 「イラクとアメリカがどうした」なんて言っても結局、「田中と中山しか出てこないじゃん、テレビ見ても」みたいなそういうところあって、まあSFCはそういう先生多いんだよ。昔も中国のことが出てくると小島先生が出てきてっていう。とにかくそういうことで加藤先生を呼んだんだって。そうするとこれも見事に成功したんだよ、やっぱり。SFCの1つのキャラクターをこの2人で作って、総合政策学部と環境情報学部なんて一緒だよって言ったんだけど、この2つの強い芯、総合政策と、ある意味のコンピュータサイエンスを中心とする環境情報学部の強い力っていうのを、シンボリックにこの2人は表してたかなと思います。

 それで、そのときの環境情報学部側のブレインが斎藤信男先生で、僕や中村修さんの智将ですね、理工学部にいたね。彼がOSの専門家だったから、僕らはOSの勉強をするために筑波大学から移ってきた斎藤先生と一緒になりました。あとはもう時間が無いので飛ばします。歴史はこの授業でいろいろ話したので。

 (スライドを見ながら)インターネットができました。インターネットはUNIXとパケット交換のARPANET。これ(ケン・トンプソン、デニス・リッチー)が両方の親で、それがバークレーで一緒になった。

 (次のスライドに移って)これが俺が言わないとなかなか忘れられちゃう、1982年にこの男、Bill Joyはバークレー・ソフトウェア・ディストリビューション、BSDというUNIXを作ったときにTCP/IPを入れて、世界中にオープンソースで配ったの。これが重要なので、このレッスンは大学が世の中を変えるってことなの。インターネットは、大学ができたのはBillがバークレーで頑張ったから。

 (次のスライドに移って)そしてPostelのことは、オペレーションだね、やっぱり。動かし続ける技術っていうのを、そう派手なことじゃないけど彼はきちんと動くためにどうすれば良いかってことをずっと考えられる人で、彼がいたからインターネットは動いたっていう話をするときに、ドメイン名とかね。俺も彼から「日本は頼むぞ、純」って言われて。

 Postelがインターネットを動かすときに、どうしようって言って必ず俺を呼ぶんだよ。「太平洋の向こう側に1人、ちゃんとしたのがいる」って言って。そういう意味では彼は僕の大変重要な指導者であったと。

 (次のスライドに移って)次、この人(Stephen Wolff)は恐ろしい人なんですよ。俺33歳とかだからね、インターネットつないでたとき。インターネットっていう、つまりそれまでは電話と電話をつなぐみたいな話は、国と国がトップ・トップでやるような話で、それを33歳の若者が勝手にアメリカとつないじゃったんだよな、世界と。こんなもの、政府が関与しないでそんなことやって国際問題になったらどうするのよ、みたいな心配をみんなしていて。それでそのときに俺がアメリカ行って、こいつのオフィスのところで「つなぐぞー」っていうのをやっていたけど、「ところでさ、これつながって上手くいっても日本の奴みんな心配してて、東大助手の若造が世界をつなぐみたいなことやってて、こんなこと許されるわけないってみんな言うんだよね」って言ったら、こいつが3分いなくなって、National Science Foundationのレターヘッドでこのメール書いてきたの。

 「Dear Dr. Murai, In light of our discussion this afternoon, on behalf of NSF it is a pleasure to grant internet access to the Japanese IP community. Sincerely, Stephen S. Wolf Division Director」

(会場拍手)

村井: これを3分で書いてきて、「Jun. Does it help?」。このスピーディーな…。額に飾ってあるよ、今。これを持って帰って東大に戻ってきて、「分かるこれ? 分かる? National Science Foundation、アメリカの政府の正式なグラントだよ?」みたいな。どうして権威に頼るんだよっていうことも、でも権威にも簡単に突破できるんじゃない? みたいなところも、しかもフェイクじゃないからね、これ。まあ、そんなんで。

 (次のスライドに移って)ウェブはSFCから生まれたってことは言ったよね。Ted NelsonはSFCにいた教員。それが元になってハイパーテキストっていうんで、ワールド・ワイド・ウェブのTim Berners-Leeがウェブを作った。そういう意味ではSFCはインターネットをいっぱい生み出してるんだね。

 最後に、2000年にこういう人口分布があったんだよな。それで、アジアっていうのはほとんど日本なんだよ、それで頭にきて。なぜ頭にきたかっていうと、アメリカ人と日本人がほとんど同じ人数なんだよ。2000年だろ? 1990年の後半に、インターネット・バブルが起こって、バークレーのやつらがみんなビジネス始まったんだよ。だから、研究開発してるのは俺たちだけなんだよ。そうすると、これがめちゃくちゃ日本が強かったんだよ。日本の研究開発で作ってたのがIPv6っていう、今お前らが使ってるバージョンの前の、バージョン4っていうんだけど、この開発を刈込っていうこのキャンパスでやっていて、それが世界の開発をずっとこのとき牛耳ってて、しかもSFCで。そこへ同僚のとんでもないやつが来て、「日本のインターネットは、どうしてこんなにぼろいの?」って言ったんだよ。俺はすごい頭にきて。そのときはもう超天狗で、俺たちが世界で一番先端のインターネットを作ってるんだ、って思ってたときに、平気な顔をして「日本のインターネットはどうしてこんなぼろいの」って。「何のことを言ってんだ、お前は」って言ったら、「役所で使ってない。経済で使われていない。だから、日本の経済はアメリカに後れを取るんだ」って言われて。だから「なんだ、このアメリカかぶれ」って思った。それを言ったのがこいつ(竹中平蔵)、同僚、名前言えない同僚。それですごいよね、経済学者の視点と俺たちが作ってきた世界一だと思ってた話とが全く違うんだよね。でもよく考えてみるとそうなんだよ。政府で使われてないし、金融で使われてないし、だから経済にダメージを与えられているんだよ。なんでだよ、って思ったら1つ。こういう経済学者とかビジネスの人っていうのは、そういう言い方するんだよ。それで、「どうすれば良いですか」って言われると、「掛かった」みたいな、そういう金融コンサルタントってみんな大体そういう論法で話すわけ。「もうこうしなきゃだめですよ」って竹中さんが言うと、「どうすれば良いかな、どうすれば良い?」って俺も言っちゃったんだよね。そうしたら「総理のところへ行きましょう」って言われて。それで、そのときに作ったスライドを持ってきたんだけど。これ、2000年に総理のところに行きましょうって言うから、総理用に作ったスライドなんだよね。それで、「総理、今までは電話のインフラと放送のインフラがあるんですけど、いろんなインフラがありますよね、我が国には。それでインターネットっていうのは、電話のインフラの上に乗せてデジタル通信をやってみたら、経済とか教育とか結構うまくいき始めたんですよね。もうちょっと頑張ると、あらゆることにインターネットは貢献できると思うんですけど、多分電話の(インフラの)上に乗ってると高い。だからネイティブのインフラを作ろうよ。」って言って。(スライドを指しながら)放送と電話は国の物だから弄ると怒られるので、他の分野で貢献するとか言ってるんですよね。それでもう1枚(スライドを)入れて、そうすると(スライド上の電話インフラと放送インフラの図の面積が)なんとなく細くなってる。「あれ?いつの間にかちょっと、ちょっとインターネットが(笑)」なんて。それで、「いや、これ気が付かないよね」みたいな。だから、ネイティブのインフラが要るんだよねって言いながら、悪乗りしてもう1枚(スライドを)作ったの。

(電話インフラと放送インフラの図のみ消されたスライドが表示され、会場爆笑)

村井: そしたらこれが上手く取り入れられて、あるとき総理が所信表明をするって言ったら、ここに夜中の2時頃、「明日総理が所信表明をするんですけど、キーワードが無い」って言われて。俺関係ねえなあ…そんなの、って思ったけど、この文章は始めは入ってて、「先端インターネットの技術の開発などの研究開発によるグローバルインターネットの課題解決へ積極参加する」。この文章は俺が入れたのね。そしたら各省庁を回らなきゃいけないんだよ、本当は。だけど、引っ掛かるワードが無いってわけ。だから「IPv6などにって、総理言ったらどうですか」って言ったら「それ良いね、入れよう」ってことになって。誰も知らないの、誰も。日本中誰も知らないの。IPv6って何、みたいな。そしたら所信表明の次の日、さすがに全ての新聞が囲みで「IPv6とは」って付けてたの。「やったー!」っていう、ハハハ。

(会場笑い。拍手)

村井: こういうやんちゃなことができるのは、SFCだよね。これは俺が技術者として生きてたら、こんなことは絶対起こらなかった。というわけで、SFCは素晴らしいところだなっていうので。

 じゃあ、俺のスライド、まだ?ああ、もういいや、911話したわ授業で。

 じゃあもう時間無いから。時間が来たのでこれで良いですか?他の質問とか。もう時間無いもんね。じゃあ、サユさん、マイク持っていただいて良いですか。

 これが最後の皆さんへのメッセージです。僕は喋れなくなるかもしれないから書いてあるんです。バックアップのスピーカーがちゃんとありますんで、僕の言葉だと思ってください、どうぞ。

 (スライドを見ながら)念のために書いておきました。まずは皆さん、今年のインターネットを最後まで履修してくれてどうもありがとう。

(会場拍手)

村井: それから30年、SFCでつながってくれた全ての人たち、昔の人も今日は来てくれて本当に感謝いたします。どうもありがとう。

(会場拍手)

村井: それからさっき、「みんなに任せたぞ」って言ったけど、俺は30年、50年、この世界を作ってきた、みんなと一緒に。でもこれから30年、50年、そして100年、ここを目指したことはみんなに任せます。頑張ってください。もう安心しています、みんながこれをやってくれると信じています。あの、SFCで…

(涙ぐみながらTA:須田に続きの代読を頼むジェスチャー)

TA(須田): SFCで働けて良かった!とても楽しかった!

(会場拍手)

TA(須田): SFCにきてよかった!とても楽しかった!

(会場拍手)

村井: SFCの学生と卒業生は、みなさんは!私の誇りです!本当に。どうもありがとう。

(会場拍手)

村井: 30年間どうもありがとう!

(会場拍手)

村井: どうもありがとうございました。

(会場拍手)

教員: 先生、先生そのままで。

(花束贈呈)

村井: ありがとう。(ハグをする)

(会場拍手)

村井: ああ、よく来てくれた…。ありがとう。(ハグをする)

(会場拍手)

教員: 先生、せっかくなので履修者の方たちと一緒に写真を撮りたいなと思うのですが、大変申し訳ないんですけどステージから降りていただいて、そこで上からなるべく広角で撮りたいと思います、すみません。お花も持っていただいて。

 大丈夫ですか。じゃあ、あとで2ショットを撮る権利を与えよう!

(写真撮影)

教員: ありがとうございました。じゃあみなさん一回戻っていただいて。

(会場拍手)

村井: どうもありがとう、どうもありがとう。

教員: 今期の授業も本当にありがとうございました。みなさんのご協力のお陰で、時間もおさずに何とか終われましたので本当にありがとうございました。

(会場拍手)

考察

  • 20年前に、WWW、インターネットを知りその凄さに感動し、どこに行けばちゃんと学べるかを探して、村井先生の居るSFCを見つけて進学しました。
  • 久しぶりに村井先生の講義を拝聴し、学生時代に聞いていた講義を懐かしく思うとともに、あの話し方は独特でとても惹きつけるし印象に残ります。
  • 日本のインターネットインフラが安価で高速で安定していて、検閲のない自由なインターネットができているのは村井先生のおかげです。
  • 卒業して16年後の私は共同創業者 取締役CTOをしてます。一緒にインターネットを楽しくする仲間を募集中!

余談

  • 当初、AWS Transcribeを使って文字起こしをしてみました。
    • しかし、精度が低すぎたので人力で行いました。
    • 2020年の音声認識の精度の記録として処理結果のJSONファイルを一応アーカイブ。
  • カンパください。
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頂いた品物

Y.O様

ありがとうございます!しっかり勉強します!=> 無事合格しました!

@castanea ありがとうございます!3杯も!

high output management

N様ありがとうございます!Intel経営を学びたいと思います。

2021/12/6

R.O 様、Amazon Wishlist経由のギフトをありがとうございます!

年末の掃除と、夜間のランニングが安全に行なえます!

コメント

  1. 飯島昭博 より:

    最後の花束の後の村田は、

  2. s03 より:

    文字起こしありがとうございます。
    ×検疫 ○検閲

  3. 佐々城清 より:

    書き起こしをありがとうございます。
    一部、書き起こし間違いではないかと思われるところがありますので、ご確認頂ければと思います。
    >それが、この2人を学部長にするっていうストーリーの件をこの間初めて井関先生から聞いたんだよ。井関先生と高橋潤二郎っていう2人の先生が、このキャンパスの企みをずっと潰してたんだよ。
    最後の部分は「…ずっとつくっていたんだよ。」だと思います。動画で音声を確認しました。
    「つくってきた」なら、お二人がSFCのプロデューサーである、という文脈と合致します。
    また、私が今までSFCの設立時のことを見聞きしてきた内容とも整合します。
    高橋先生は「SFCと心中した」とまで言われた方でした。
    よろしくお願い致します。

  4. 佐々城清 より:

    素早い対応をありがとうございました!